北国の家づくり

はじめに

今日の『北国の家づくり』は、雪がもたらす不便さや寒さを克服し、いかに冬期間を快適に過ごすかに重点をおいた家づくりが主流となっています。

しかし、つい最近までそれは忘れ去られ、全国の家づくりがそうであるように、夏を中心に考えた夏型住宅が主流でした。それは夏涼しく冬寒いという造りになっており、誰もそれに疑問も持たず、寒さにじっと耐えてきました。

 冬型の家はどこに

 青森三内丸山遺跡の発掘調査により、約5000年前の竪穴式とよばれる住居址が、現在580戸出土していて、この時代にすでにコミュニティが形成されていたことが分かっています。

この竪穴式住居は、土を一メートルほど掘った半地下の上に、木の枝などで屋根の下地を組み、その上に木の皮などを葺いて屋根を造ってあります。土間である土の温度は一年を通じてほぼ一定になります。つまり縄文人の家は夏涼しく冬暖かかったのです。

冬には土間の囲炉裏で直接火を焚いていました。火の暖かさは地熱と融合し、床に蓄熱され、家全体を暖かくしていたと考えられます。

さらに、半地下にすることで天井高さに余裕ができるので、そこを中二階として利用していたようです。ここが寝床なら冬の寒さや湿気はうまく解決できたと思います。

食料などは湿気や外敵から守るため、高床式の倉庫を造り、そこに保存していたとも云われています。

 また縄文人は夏と冬を住み分けていたという説もあるようです。

もしかしたら、夏はそんな高床式の別荘のようなものを造って、そこで暮らしていたのかもしれません。

でも、いつからか日本の家づくりは高温多湿の夏をいかに快適に過ごすかにこだわり始めました。日本全国、夏中心の「夏の家」づくりが主流になってきたのです。私が学生の頃にも住宅は夏を中心に設計をしなさいと指導を受けたものです。北国には、そんなに暑い夏は何日もないというのに・・・。寒い冬の方がはるかに長いのにもかかわらず、北国の人々も「夏の家」に暮らし始めたのです。さぞかし寒く長い冬だったことでしょう。お隣の国、韓国には「オンドル」という床下暖房が古くからあり、「冬の家」が代々受け継がれているのに、日本の北国の人々は「冬の家」づくりを忘れてしまったのです。

 青森の屋根

 しかし、寒さには耐えられても冬の雪の被害には耐えられるものではありません。平地で150センチも積もるのですから、雪を何とかしなければなりません。

昔は青森の風の強い漁村などでは風に飛ばされないように木の板や皮で葺く、いわゆる「木っ端葺き」屋根でした。さらにその上に石などを重しとして乗せていたのです。風で雪が飛ばされるため、屋根には雪が積もらない。だから石をのせてもよかったのです。また農村地帯では、家の屋根は茅葺き屋根でした。青森に降る雪は湿った雪ですから、なかなか屋根から滑り落ちません。大雪のときは重さで潰れることもあったと聞きます。

当時の屋根形状は、茅葺き屋根は寄棟か入母屋、「木っ端葺き」屋根は切り妻か片流れがほとんどでしたが、その後屋根を葺く材料として軽くて丈夫な「トタン」が主流となり、少しずつ青森の屋根形状は変化していきます。まず雪が二方向に落ちる切り妻が主流となりました。

しかし屋根から落ちた雪は片付けなければなりません。私が子供のころは1階が全て雪で埋まり、2階の窓から飛び跳ねて遊んだ記憶があるくらい、積もったこともありますから、これが重労働です。

そこで、屋根に積もった雪の大部分を家の後方や空き地、畑や川へ落として、玄関前や、南側をすっきりさせたいという思いからか、切妻屋根の変形である「へ」の字型の雪国独特の屋根が生まれます。いわゆる「半片流れ」屋根です。完全な「片流れ」屋根にしなかったのは、全ての雪が一方向に流れてしまっては家が埋まってしまう。・・・少しは前に落として「それぐらいは雪片付けをしよう」という気持ちだったのかもしれません。まだ敷地に余裕があった頃の話です。

 しかし開発が進み、空き地が無くなり畑が分譲地等になり、敷地に余裕がなくなってくると、雪を落とすことが出来なくなりました。そこで考案されたのが「М」型の屋根です。

 これは、屋根に積もった雪を落とすことなく、積もったままにしておく、という逆転の発想から生まれた「無落雪」屋根です。現在では、狭小敷地は勿論ですが、広い敷地でもこの屋根を採用することが多くなりました。「無落雪」屋根は、大きく分けて二種類あります。一つは地熱などを屋根に導き雪を融かすタイプと、もう一つは、自然のまま屋根に雪を載せておき、大雪のときだけ1〜2度雪おろしを行うタイプです。イニシャルやランニングコストなど経済的理由から、後者を選ぶ場合がほとんどです。「無落雪」工法は在来の屋根に比べて、柱の本数が増えるし、梁なども一まわり大きくなりますが、屋根勾配が通常の逆ですから雪おろし中の落下事故などの危険性もだいぶ少なくなり人々は安心して暮らせます。

 ところが、この「無落雪」屋根が出始めた頃はまだまだ「夏の家」時代だったのです。断熱や通気の必要性の認識も低く、屋根形状だけを真似て施工をした業者が現れた為に、問題が発生しました。断熱性能の不足や施工不良によって、日中の暖房による室内の熱が、全て屋根裏に抜けて行き暖房は常に稼動させていなければなりません。そしてその熱で屋根の雪を融かしてしまいます。夜間に暖房が止まると途端に冷え、屋根の解けた雪は氷となります。氷となった雪はなかなか融けません。屋根にある排水口を氷で塞いでしまう事になってしまうのです。そのため、屋根がプールと化し、雨漏りが始まるという事故が起きました。片流れ屋根や切妻屋根は水が外に流れるような勾配になっていますから、この様な事はいままで起こらなかったのです。この問題が起きて初めて断熱や通気、換気が必要であることが認識されるようになりました。その後、様々な改良、工夫が施され、今では雪国のほとんどの家が高断熱、高気密の住宅になりました。ようやく夏涼しく冬暖かい家づくりの時代になったのです。

縄文人から遅れること5000年、ようやく私たち北国の人々は「冬の家」を手に入れたのです。

  冬をたのしむ

 おわりに青森県黒石市の「こみせ通り」を紹介します。

この通りは伝統的建物群保存地区に指定されています。









                                                        


                                                            こみせ通りは藩政時代、黒石陣屋が設けられた際に造られました。「こみせ」は「ガンギ」ともよばれ、商店が道路から一間(約1.8メートル)ほど後ろに下げて家を建て、その間に屋根を架けた木造のアーケードのことです。
一間から一間半ごとに立てられた柱の間には、よしずや板塀を掛けて、通行人や買い物客を夏の日差しや雨、冬の吹雪などから守る、人情あふれる通りなのです。冬の吹雪の日でも、この通りからは、人々の温かい笑い声が聞こることでしょう。

 ま と め

今日の北国の公共施設の中には、気候、風土をよく理解しないまま造られ、結局利用者に不便を感じさせているものもあります。家づくり、街づくりにはその土地、気候、風土がもつ特徴をよく理解し、その自然の中で快適に生活できる環境を構築することが、最も重要で実践していかなくてはならないことだと思います。今の北国の家づくりは、外と内を完全に遮断した「冬の家」となっています。かといって私たちは「夏の家」と「冬の家」両方持つことはなかなかできません。だからこそ夏という季節が持つ心地よさや、冬がもつ厳しさ、心情的なものなど四季折々の風情を肌で感じられるような、オープンにもクローズにも対応出来る「夏冬」の家づくりが、これからの北国の家づくりには必要だと思います。